アルビルで人妻になる私
アルビルで私は突如として、人妻と母になる。
結婚して1年、夫と1歳になる子どもが1人いる。
別に現地妻ならぬ、現地夫がいるわけではない。そういう自己紹介をすることがある、という話だ。
私がこの街、アルビルに馴染みづらい理由のもう1つに、男性との距離の取り方が難しいということがある。
一番、如実に現れるのはタクシーに乗った時だ。
タクシーの運転手さんとの会話は覚えたてのクルド語のフレーズを試してみる絶好の機会。
「出身はどこ?」
『日本です』
「この車は日本製だ。日本はいい。日本人はみんな頭いい!」
こういうお世辞から会話は始まる。
『へへへ、でもわたし、頭よくないよくない』
とジェスチャーで返答すると、サービス精神のある運転手さんが、
「ジャッキー・チェン、ブルー・スリー、ジェット・リー、最高!」
と続けるので、
『いやいや、それは中国、香港です』
というと、
「日本じゃないのか!そうなのか!」とたいそう驚く。
それから、
「仕事は?」「お名前は?」「何歳ですか?」
お互いにこんなことを聞き合う。
これくらいの会話内容であれば問題ない。数分間の爽やかな交流だ。
しかし、ニコニコと話していると、あるタイプの運転手はもう1段ステップを踏み越えてくる。
「結婚しているのか?」
単なる普通の質問なのかと最初は思った。家族は何人、兄弟姉妹がいるのか尋ねるそういう類の質問かと思った。そういう場合も実際にある。「うちは4人の子どもがいてねぇ」なんて。しかしこの結婚しているのかと質問をしてくる人の約半分は、「結婚していない」というと、だいたい次の質問を続ける。
「クルド人と一緒になるのはどうか?」
そして、
「俺はどうだ?俺も独身なんだ。俺でもいいだろ?」
これは大抵、変な下心があるということが多いのだ。「俺はどうだ」とジェスチャーつきでしつこく聞いてくる。
クルド人だから結婚したい、したくないとかいう以前に、一回乗っただけのタクシーの運転手さんからの突然の軽いプロポーズを受ける理由はない。「失敬な!」と言い返してやりたいが、そんなクルド語、わからないので、思いっきり、不機嫌な顔をして、窓の外を眺めて、「ああ??」とゾンザイに反応を返すことにしている。そんなわけで、わざわざ不快な気分にならなくてすむよう、結婚して子供もいる、「とっても幸せです!」と返事しているのだ。
そう、男性と普通にフレンドリーに話そうとすると、勘違いされたり、妙になれなれしくされたりするので、自粛せざるを得ないのだ。
イスラム教徒は紳士で女性に優しいという人がいる。もちろんそういう人も大勢いる。そういう人に大勢助けられて来た。少なくとも外国人女性としては自由がきかない部分よりも、気を使ってもらえるという正の部分を享受できることも多かった。
でもそれと同時に、イスラム教徒でない女性は全員、ビッチか自由性愛の国から来た人たちだと思い込んでいるイスラム教徒も確実にいて、不快な思いもする。しかも外国に一人で来て、独身の女とあれば何でもオッケーな人に見えるのだ。特にかわいくもない私でも、愛想笑いすれば「こいつ、いける」と即座に勘違いされてしまうことがある。
さらにひどかったのはまだ何もこちらのルールをわかっていなかった一番最初にアルビルに来た時の頃。日本のタクシーではドライバーの隣の席は定員でいっぱいにならない限り座らないが、こちらのタクシーは一番、最初にドライバーの席から埋まる。運転手とお客さんが仲良く前の座席に座っておしゃべりしながら乗っている姿をよくみる。
「郷に入れば郷に従え」。ならば私もそうしようと助手席に座ってタクシーに乗っていた。当時の私は、アルビルで見る全てが新鮮でとにかく明るかった。窓の外の風景をニコニコしながら見て、ドライバーにも親しげに話しかけた。だがある異変に気付いた。ドライバーがなぜか笑ったついでに軽くボディータッチをしてきたり、ガムを食べろと口の近くまで持って来たり、ニヤニヤ笑ってタクシー料金はいらないと言ってくるのだ。そして窓の外の建物を、それから自分と私を指差して、そして左右の手のそれぞれの人差し指をくっつけてこちらを見て意味深に笑い言うのだ。
「どうだ、これから?」
これから一体何なのか。つまり、これは私を売春婦と思いホテルに誘っているのだ!
何度かこのような経験をしてようやく気付いた。運転手の助手席に座るのは男性だけで、女性の客は後ろに座るのが普通なのだ。このルールを無視して助手席に座る私を運転手たちは売り込み中の売春婦か何かと勘違いしたのだ。
念のため、アルビルの運転手の名誉のために言っておくと、一貫して紳士だった運転手もいるし、今思えば、自分の子どもの写真を見せて、「売り込み中の売春婦」の気持ちを外らせようとしていた運転手もいた。
しかし概して、道で友人との待ち合わせをして立っているだけで客待ちと勘違いされて「いくぞ!」と声をかけられたり(そして私はよく友人に待たされる)、ジュース屋の店員とおしゃべりするだけで「マッサージはするのか?(もちろん普通のマッサージの意味ではない)」と聞かれることもある。いろいろと面倒なのだ。
実際に売春宿などもあちこちにある。見分け方は簡単で、赤い中国提灯が下がっているかどうか。一番最初の写真がおそらくそれ。奥まった路地や、普通のホテルの窓の前にかかっている。大体はマッサージ店という表記だ。中国人らしき女性がバーでダンスを踊りまくり、そのあとに客に話しかけて営業している姿もみたことがある。私が勘違いされることが多いのもこの仕事にアジア系の女性が多いのが理由の1つだろう。
(ちなみにアラブ人女性の売春婦もけっこういるらしい。バグダッド出身の女性が多いらしいが、そういう女性たちが多く住むアパートや、商売に使う特別な家というのもあるらしい。)
不快な思いを避けるため、なんとなく私は「ツン」としていなければならなくなってしまう。そんな失礼ことをしない人もいるが、そういう人は外国人女性にそんなにペラペラ話しかけたりしない。それにその人が礼儀正しく接してくれる人なのかどうか、すぐにはわからないので、こちらも様子見が続いてしまう。アルビルはどうとも馴染みにくい。